
フランス暮らしを通して、共依存を考える~ イエスとノーも大事だけれど~ フランス在住日本人女性からのレポート
●依存物質や対象に頼って生きざるを得なかった生きづらさ
依存症の背景には、依存物質や対象に頼って生きざるを得なかった事情、生きづらさがあることが多く、家庭や社会での人間関係に何らかの問題を抱えているケースも見られます。皆さんも少なからず、人間関係に悩みや問題を感じた経験はあるのではないでしょうか? この人間関係ですが、個人や家族といった小さな集団での文化に影響されるだけでなく、お国柄としての性格や習慣が語られることは多々あります。たとえば日本であれば、礼儀正しい、丁寧、まじめ、はっきりとものを言わないなどなど…。私は成人してしばらくしてから、日本を出て、フランスに住んでいます。日本を一歩出て、歴史も文化も違う他国に身をおいて暮らすことで、人間関係の違いが非常にクリアになり、興味深く感じるようになりました。今回は私が暮らすフランスの人間関係について、お伝えしようと思います。まったく違う文化での人間関係を知ることで、今、問題を抱えていらっしゃる方の何か参考になれば幸いです。
●「空気」は読まない
フランス人私は日本で生まれ育ち、フランスへ渡って12年となります。ここフランスでの、親子、並びに普段の人間関係について、私なりの視点でお伝えさせていただきます。まず、ごく個人的な感想として、私が最初にフランスに来てカルチャーショックを感じた数多くの事柄には「はっきり言葉に出すことが肝心。言葉に出さなかったことは、考えなかったこと、無かったものとみなされてしまう」ということに等しい、という文化。これは「相手が思っているであろうことの何歩先を読めるか。痒いところに手が届く人はよく気がつく人であり、周りと溶け込む為に空気を読まなければならない」ことが必須である日本での集団意識の逆をいっていて、正直面食らうを通り越して、フランス人は自己主張だけ強く、相手の気持ちをわかろうとしないサイテーの人種、と最初の数年はフランスに住みながらもひどいフランス人アレルギーに悩まされてもいたほどなのです。
それほど強烈な文化でありながら外国人としてフランスに住み続ける為にはこなさなければならないタスクでもあった為に、最初は日本人堅気丸出しにしてただひたすらフランス人の延々と終わらないおしゃべりを忍耐強く聞いていました。(ここでいう話が長い、はあまりよく知らない人との関係を指します。例えばパーティー文化の浸透しているフランスではホームパーティーが盛んで、そのような場で初対面か数回顔を合わせた程度の人とする、内容より楽しませるための社交トークといったところでしょうか。もちろん、話が通じたり面白かったりする時も多くあります。) 話すということは時にいいことでもあり、逆に裏目にでることもあります。いい面は、話すことで相手との違いがはっきり見えること、つまりノーを言ったとしてもさらに仲良くなれるのりしろのような部分があり、お互いに自分の立ち位置にいながらも意見交換することができる、大人で、うまくいけば尊重しあえる関係も生まれやすい。多様性をうまく認め合うことができれば、自分の視野を広げることもできるし、人間的な成長にも繋がる…、と素敵なことだけ並べたけれど、やり過ぎてしまうと、お互いが、お互いの主張をしあって譲らない、あるいはそれがエスカレートして落とし合うような、やりすぎ感も否めず、自分の意見をしっかり持ってそれを主張することが良いという価値観の中では、逆に折れどころがわからなくなってしまうというリスクもあります。略してまとめると、よい点は、自分に素直で正直、悪い点は過ぎると子どもじみた言い合いになってしまう、というところかもしれません。
そんなフランス人の親子関係、あるいは家族はどういう関係性かを考えてみます。自分に正直なフランス人、親元を離れて自立する年齢も比較的早い傾向にあるように感じます。また、結婚して子どもを作っても、愛が冷めて離婚し、そしてほかの人と再婚、新しいパートナーとの間に子どもを作ることは日常茶飯事です。離婚した父親や母親と会うために、子どもだけが一週間ずつ、母親の家と父親の家を行き来することも、そう珍しいことではありません。実際、私の友人や回りのシングルマザーの子どもたちでも、一週間おきに離婚した父親の家族と過ごし、その後、母親の元に帰ってくるという生活パターンをしている家庭を知っています。このような関係性に対して、親たちはドライで現実的な感覚を持っています。子どもは親権を持っている方のものというより、親同士は別れたけれど、子どもにとってはどちらも親であるから、どちらとも会って、親子の時間を過ごすのが当たり前という考えで、その形態を採用しているようです。もちろん、このような生活にもよし悪しはあって、一概にそれがいい、とは言い切れません。子どもにとっては、一週間ごとに家や環境が変わることで気持ちが落ち着くことができない面もあるようです。メンタルの強い子は平気かもしれませんが、繊細な子ども、親の状態、その親との相性などもあり、子どもが思春期に入ってくると、もっと様々な理由で、どちらにも馴染めなくなってしまうことも考えられます。結果的に学校や勉強、さまざまなアクティビティに集中できなくなり、心が荒んでしまったとしても無理はありません。こういった環境を受けてか、子ども用の精神科クリニックや専門医が充実していることは、フランス医療の大きく進んでいる点と考えられますが、かえってこういったシステムも裏目に出てしまうこともあるかもしれません。
●幸せに生きるためにブレない軸を自分からもつ
異なる2つの国の文化を生きて感じること…、それは「みんな違って、みんないい」ということです。価値観の違いは当たり前だし、すべてを同じように理解することも難しいでしょう。それを踏まえた上で、それぞれの生き方を尊重することで、程よい距離感を取ることができ、比較して優越感や劣等感に浸ったり、今ある状況を誰かのせいにすることで答えを見出そうとしたりしなくなります。お互いが違っていることを前提として、コミュニケーションをとることが、程よい距離感は大切です。自分の感覚で違うと思えばノー、と素直に言ってみる。これはやってみると意外と難しくて、つい受け入れることの容易さを選んでしまいがちですが、取り組んでみる価値は充分にあると思います。
日本では断る時に何でも言い訳を付けることが多く、「○○だからできません」「病気だから休みますと言うふうに説明することが好まれますし、私自身、日本で暮らしていた時にはそのようにしてきました。礼儀をわきまえて物を言わなければならないことが多々あり、多少嘘や装飾であってもわかりやすい丁寧な説明を付け加えて納得させるようなこともあると思います。この日本のコミュニケーション文化が、一部の人には(少なくとも私や周囲の友人は)少々面倒だと感じています。ときにはシンプルに「すみませんが、できません」「今日は行けません」と言ってみてはどうかと思います。私は積極的に「ノー」と言って断りましょうと言いたいのではありません。言い訳をつけ加えることにプレッシャーやストレスを感じるのであれば、自分自身の心と身体の心地よさを感じて、それを優先させてみることをお勧めしたいと言いたいのです。人に過度に遠慮したり、強い罪悪感を持ったりすることを、より少なくするために、より「私」という人生を生きることへの実践を提案したいのです。加えて、他人の批判や噂話、比較することに使っていたエネルギーをクリエイティブなことや、社会活動などにつぎ込んでみることも、より「私」が豊かになる生き方のひとつだと感じます。
突拍子もないことを言っているようですか? しかしこれは実際、私自身がこのようなことに一つひとつ取り組むことで、「自分」が緩み始め、現在、数年前とはまったく違った人生を生きている実証があります。私自身は、強烈な母親と兄がいる母子家庭の中で、かなり重症な共依存体質を持って育ちました。この依存から抜けるために、思春期から社会人の長い数十年を苦しみ過ごしました。
「私は貧しい家の子どもだから、人の10倍働かなければまともに生活できない」
「私は器量も頭も悪いのだから平身低頭、へりくだらなければ生き残れない」
こういった被害者意識や痛い価値観を親から言い含められ、またその言葉を鵜呑みにしていたため、長年自分自身も嗜癖に苦しんで生きてきました。しかし数年前、身体も心も仕事も何もかもすべてが凍結してしまうバーンアウトの時がきて、このまま生きることはもうできない、という底つきの状況を経験してからは、生き方を考え直し、変化をし続けて今に至ります。
変わることができたのは、渡仏したからではありません。生き方の方向性を変えたからです。ただ、その時に、フランス人の生き方は大変参考になり、たくさんのヒントを与えてくれ、今では感謝しています。今回はフランス人の論理的に伝える力やはっきりものをいうことの重要さについて主に書きましたが、反面、日本人が持っている「どちらでもないグレーゾーン」も、実はとても大事だと思っています。それは多様性を受け入れようとすればするほど、相手との意見の食い違いや文化の違い、育ってきた環境などでギャップが大きくなってしまった時、受け入れるということをしなくてもとりあえず容認する(自分の中のグレーゾーンの引き出しに置いておく)という形をとることで、いい形に治ることが実はとても多いと、実体験を踏まえて感じているからです。この3色(白、黒、グレー)をその時に応じてうまく調節していくことを習得すれば、人との関係を今より楽しむことができるかもしれません。
N.Hさん(東京都出身、フランス・パリ在住)
繊細で丁寧な姿勢で生き方を見つめている人。アディクションラボの趣旨に賛同し、海外生活を含めて自らの経験からよりよい人間関係の作り方を提案してくれている。